引き算の美意識、京都

こんにちは、

今日は京都の話です。

昨年から、仕事もあって京都を訪れる機会が増えてきました。

京都に来ると、普通の感覚が東京とは違うことが分かる。

僕は京都のにしんそばが好きでよく食べに行く。そば屋に行くと、たいがいテーブルには何も置いていない。東京などでは爪楊枝や七味唐辛子、醤油、メニュー等テーブルに置かれている。京都では、醤油は卵焼きの上の大根おろしや漬け物に少しかかって出てくるし、七味はそばと一緒に持ってきてくれる。こだわっていると言うよりは、普通にそうなっている。

これは、建物や料理はもちろん、京都の見た目に気を遣う文化の延長なのだと思う。それも、要素は少なくする引き算の美意識だ。

京都や関西では片付けたりものを仕舞う事をなおすという。ここからは僕の勝手な解釈だけれど、このなおすには整える、きれいにするという意味が含まれている。なので、ただ片付けると言うよりは、出ている物をしまうことで場を整える、という意味で、そば屋のテーブルに繋がる。なおすという言葉の響きには襟を正すみたいな感じがして良い。

僕が東京に来て何年かは、この方言を方言とは思っておらず、職場で掃除道具をもって「なおしておきます」と言って、きょとんとされたことがある。

これは、そば屋の例を挙げたけれど、住宅の外塀越しのエアコン室外機が、きれいに外塀の一部のようにうまく囲って隠されていたりするし、やっぱり京都の普通の感覚なのだと思う。

あー、こんな事を書いているうちに、にしんそばと大根おろしののっただし巻き卵焼きが食べたくなってしまった。

 

上の画像は、桂離宮

 

 

kosuke shimada / 嶋田 耕介

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