創立三年目の甲子園

こんにちは、

甲西高校、読者の中には知っている方もいるかもしれません。

僕の育った街にある高校で、創立三年目で甲子園ベスト4になってしまった高校。

当時僕はまだ10歳だった。人口が3万人くらいの街にできたばかりの高校が、甲子園に出場ということで町中大騒ぎだった。野球に特に興味のなかった我が家も家族5人総出で応援に行った。

確か初戦が第一試合で、暗いうちに集合場所だった国道1号線沿いのバス会社の車庫に行くと、とにかくすごい数のバスが待機していた。後で知ったけれど、一試合に100台近いバスが甲西から甲子園の応援に向かい、おかげで、翌年から一校あたりの応援バスに台数制限がついてしまった。

試合の内容は、勝った試合はほとんどさよなら勝ちだった。甲西に負けたチームには大魔神佐々木と阪神の葛西のいた東北もあった。破った名門久留米商業、県立岐阜商業もプロ野球選手を何人も排出している。結局、準決勝で桑田と清原のいたPLに大敗して快進撃は終わった。

そして、僕は翌年から野球を始め、10年間続けることになった。

久しぶりに今年、高校野球をテレビで見ていて面白いなぁと思った。横浜と智弁学園の試合。9回2アウトから智弁学園が大量に点をとって逆転勝ちしてしまった。

9回表の後一人で試合が終わると状況で、横浜の投手は余裕の笑みを浮かべていたけれど、ヒットを1本2本と打たれ、徐々に表情が絶望に変わり、智弁学園の打線が止まらなくなってしまった。

プロ野球では、こんな気持ちが締め付けられる様な人間ドラマは見る事ができない。甲西高校の奇跡のような結果の事を考えると、育てられた監督はもちろん、投手、捕手、主将と今でも忘れる事のない際立っていた選手がいたからとも思っていた。だけど、横浜、智弁学園戦を見て、やっぱり街中が大騒ぎになった勢いが一番大きかったんだと思う。

 

kosuke shimada / 嶋田耕介

 

 

 

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