コルビジェとサボア婦人の戦い

こんにちは、

昨日のオペラハウスが出来上がるまで大変だったという繋がりで、1928年設計のサボア邸の話です。

何年か前にパリの郊外にコルビジェ設計のサボア邸を訪れた。

歴史に残るだけのことはあって実際に見て触ることができることはすばらしい体験だった。

しかし、興味深かったのは、一室の展示室にあったサボア婦人との文通。

その内容は、建設中の希望や、コストが上がって行く事への不満、完成後も建物の不備への不満、ついには最後通告の後、住める家ではないと引き払ってしまう。そんなやり取りが、何通もある。

この原因は、実際に人の住む建物としては完成度が低かったところもあるんだろう。雨漏りがしたし、冬は氷点下まで下がる気候に断熱材の無いコンクリートと単層ガラスは寒そうだ。

しかし、この烈火のごときにサボア婦人を怒らせてしまったのは、ほとんど建築に際して自分の意見を聞き入れてもらえなかったところにあると思う。

エスプリヌーボー誌での著作などにある強い哲学をもっていたコルビジェは、婦人の意見を聞き入れようとははじめから思っていなかっただろう。ドアノブ一つでさえもわざわざ図面をひいて作っているくらいだ。

そんな頑固な建築家がその後も世間からの評価を上げていくことでさえも、彼女は喜べなくなっていたんじゃないかなと思う。

彼のゴールは鉄筋コンクリートによる自由な設計だったはずだ。完成した家は依頼主を結果的には不満にさせててしまった。ジレンマはなかっただろうか、いや筋金入りの頑固おやじのことだ、はじめからやりたいようにしかできなかっただろう。なんてこの美しい建物の中で考えていた。

kosuke shimada / 嶋田 耕介

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