東海道五十三次、走破、ならず

こんにちは、

2007年のゴールデンウィーク。友人でデザイナーのブラッドリーと一緒に自転車で東海道五十三次を走った。

このきっかけは、彼と飲みに行ったときに、東海道五十三次の話をしたところ、どうも彼にはシルクロードのように聞こえたようだ。どうしても走ってみたいという話になった。もう一つは、彼がTOKYO BIKEを買ったところで、僕も衝動買いをした自転車があり、少し遠くまで行ってみるのも良いかと思っていた頃だった。

休みの取れなかった僕は、3日間で日本橋から京都の四条までのプランを立てた。そもそもこれが無謀だったのですが。。

しかも、会社帰りにそのまま京都まで行ってしまった、という軽い感じで行こうと、僕たちはジーンズにジャケット姿だった。

初日の早朝、渋谷からわざわざ日本橋まで、京都とは反対方向へ走り。そこからスタート、都内から小田原まで一気に午前中でたどり着く、が、東海道にこだわった僕たちは箱根の山を律儀に自転車で登ることになる。標高900メートルくらいある。昼にたらふく食べた鰻に後悔しながら登る。その日は何とか静岡までたどり着いた。

二日目は、2人ともがに股でしか歩けないくらい何かがおかしい。その日も黙々と走っていたら、いつの間にか高架上のバイパスに入ってしまい、警察に拡声器でしかられることになる。そして何とかたどり着いた岡崎。

翌日は、、大雨、、結局はここで挫折することになった。2人は申し合わせた様に京都まで新幹線で向かった。

今となっては楽しい思い出で、行った先の赤提灯の居酒屋は東京とは違うおもしろさがあったし、中学生位の団体に道を聞いたときには、団体で随分な距離を先導してくれたりもした。そして京都では、少し前に紹介した舞子さんの話に繋がる。

しかし、出発前、次は北海道を走ろうと言っていたブラッドリーから、次の自転車旅行のことはその後一切出てこない。

 

 

kosuke shimada / 嶋田耕介

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