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kosuke shimada | 2011/08/15 | no comments
今日はベタですが、シドニーオペラハウスの話です。
遠目から見ていると、まぁなんときれいなオブジェだろう。この都市からオペラハウスを引っこ抜くと、どこか分からなくなってしまうくらい強いシドニーのアイコンです。
建設から完成、そして現在にいたる紆余曲折の物語は、何度も聞いたり見たりしてきた。予算の十数倍の総工費をかけて完成したことは有名な話だ。
建築家ウツソンが1956年にアイデアを出し翌年にコンペで勝利した。順調に進むはずの工事は遅れ遅れ、途中で彼は実質更迭されてしまい故郷のデンマークに帰ってしまう。落成式にも出席できず、結局彼は完成したオペラハウスを実際には見る事なく亡くなっている。
これは想像するだけで悲しくなってしまう。彼は責任を感じてその後このオペラハウスの話題は避けていただろう。そうでなければ一度くらいは完成した姿を見に行ったはずだ。
時が流れて、建築作品としての偉大さが理解され始める。ザハ・ハディッドだってコンペに勝利しながら建設困難を理由に建設技術の進歩を待たされていた頃だ。そして2004年のプリツカー賞の受賞やシドニーでも賞や地位が贈られ名誉回復となる。2007年にオペラハウスは世界遺産に登録された。
1956年の設計か。その時代に建設に踏み切れたのは奇跡的な事だ。見積もりが甘いことを誰も指摘しなかったとは考えられない。完成させる事が優先されていたのだろう。
紆余曲折は起こるべくして起こったのだ。
過去の積み重ねを大きくねじ曲げるような新しいものにはつきものなことだろう。新しい事をしない理由はいくらでも思いつくし、至極全うだったりする。これを押しのける力になったのは結局は彼の設計だったことは間違いない。
シドニーは今日でおわり。
kosuke shimada / 嶋田 耕介